少年の本




 少年は、多くの絵が描かれた本のページを月光の中で、ゆっくりと何枚もめくっていきました。
小さな眼にいっぱいの涙を溜めながら。
 今日もたくさんの嫌な事が遭ったのです。
学校では、多くの悪口が少年に向かってひそひそささやかれ、何度も何度もぶたれました。
仕返ししようにも、少年の体力では殴り返す事もできず、しかも重い口のため誰にも言い返すことができません。
また、いつも知らず知らず垂れ流す鼻水は、誰一人のの友達を作らせません。
 毎日毎日、途切れる事がないくらい泣いていました。

 一人で少年は本を読んでいます。
もっとも気持ち悪いと言われるために、何をするにしても一人でしたけれど。
ただこれだけが少年にとっての楽しみでした。そして救いですらあったのです。
 でも、思わず泣きながら本を読んでいました。
昼間の事を思い出すのと、本の主人公のあまりの差に。
いつもいつも嫌な事をさせられ、心も体も痛い自分と、明るく元気な本の主人公たちの差に。
どんな辛い目に遭っても、あきらめず真昼の様な明るさを捨てない彼らとの差に。
 もう、すべてが嫌になり、本を放り投げました。
癒されるものに癒されなくなった少年は、怨めしそうに光を発する月をにらみつけます。
そして、今日は起き続けていようと考えていました。嫌な明日が来て欲しくないから。

 月は、窓から見えなくなり、部屋は真っ暗になりました。
泣き声は徐々に治まり、少年は起き続けていました。
真っ暗で何も見えず退屈でしたが、少年はどうしても眠りたくなかったのでした。
そんなに明日も明後日も、未来は嫌なのです。
あんなに辛く寂しい思いはしたくありませんでした。
 暇を持て余し、また再び投げた本を取ると、さっきと同じ本なのに違う話がありました。
怖い話です。
真昼の様な明るさのない、暗い世界が広がっています。
人々に、気味悪い鬼の様な、悪魔の様な男が次々に理不尽に襲いかかるのです。
不幸を嘆く人々を嗅ぎ取ると、刃物で切りつけて獣の様な歯で、その人の体に喰い付いて来るのです。
ページをめくるたびに、次々に男が人々をおぞましく食べていました。
たとえ駆けつけた英雄もひとたまりもありません。
その男は、少年が読んできたどの本の人物とも根本的に違う存在でした。
 あまりの内容に少年は本を閉じようとしました。
ですが、本から毛むくじゃらの手が伸びてきて、本を閉じさせなかったのです。

 気味悪い男が目の前にいます。
希望も何も与ず、不快感を与えるだけになった本に出てくる男がいます。
怖くて声も身動きさえできないでいると、ますます男は本から出てきて近づいてきました。
汚く原型がわからないほど破れた服を着た醜い不気味な男は、おどろおどろしく「嘆く奴いねえが」と聞いてきました。
少年は嘘をつき、そんなのいないと答えます。
 男に本当の事をしゃべると、間違いなく太い手に握られた刃物に切り付けられ、大きな口に隠された凶暴な歯で食い千切られるでしょう。
確かに少年は毎日辛い日々を送っています。会いたくない人は学校に山ほどいます。やられたくない事をしょっちゅうやらされます。
それでも、少年は嘘をついたのです。
 くっくと男は笑い、「嘘をついたな」と、少年を一気に口の中に押し込みました。
暗い、見たくない世界へ、押し込まれました。


 少年は、目を開けている自分に気づきました。
少年はいつの間にか眠りにつき、夢を見て、今日から再び辛い日々が始まろうとしていました。
 でも、夢の中で殺された少年は、それはそれでいいのかもしれないと思いました。


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